取引先の発注量が減る、仕事が引き上げられた、取引単価がどんどん下がるなど町工場を営む経営者は苦しくないですか?苦しい根本の原因は昭和の時代から何も変化してこなかったのが原因です。
日本の町工場の大半が経営で苦しんでいるのは、現状維持をし続けて、変化を起こさなかったために時代に取り残され、外部環境がどんどん変化する中で置いてけぼりを食らったからです。
「仕事があるから営業をしてこなかった」「1社から仕事をもらっていれば会社が回っていた」と変化せずに、口を開けて仕事を待っている期間が長すぎたために、これからの時代を担う後継の方は相当苦しいのです。
町工場の経営が苦しいのは長い間、変化をしなかったツケが回ってきただけであり、自然のなり行きですが、これから先の時代では変化を起こさないと会社は廃業の道しか残っていません。
この記事では町工場の経営が苦しい原因を解説すると共に現在の間違った町工場の形を変革し、正しくあるべき姿の町工場に戻すために起こすべき2つの変化を解説します。
町工場がずっと変化しなかった「ツケ」が来た
日本全国の町工場が苦しいのは長い間、変化をせずに現状維持に甘んじてしまったことが原因でそのツケを現代の経営者が支払う形となっているのです。
工場の中にいると当たり前になっている空気が実は外から見たら異常であり、その異常に気がつけぬまま、井の中の蛙状態で時間を過ごしてしまったので、外の世界から置いてけぼり状態なのです。
ここでは町工場が変化しなかったために抱えることになった負債であるツケに関して解説します。
「今があるから大丈夫!」の意識が原因
なぜ、日本の町工場の大多数が苦しい経営を強いられているのか、それは「今があるから大丈夫!」と日本の景気が良く、黙っていても仕事が流れていた時代のままズルズルと時間を過ごしていたことが原因です。
昭和からバブル、日本の経済成長が著しい時期は本当に町工場は黙っていても勝手に仕事が流れてきて、売上も利益も十分でまさに順風満風、1社とだけ取引していればよかった時期は確かに存在しましたし、町工場は儲かっていました。
しかし、この「黙っていても仕事が来た時代」が町工場が苦しい経営をすることになった発端です。
「黙っていても仕事がくる」つまりは営業しなくてよかったので社内に営業担当も不要で、育てることもせず、何より「わざわざ営業しなくても、今があるから大丈夫でしょ!」という文化が町工場に形成されてしまったのです。
そのため、黙っていても仕事をたくさんくれるメーカー1社との取引だけになり、その業界に依存する結果となったので、今、多くの町工場が抱えている「1社依存状態」の問題に繋がったのです。
たくさん仕事をくれたメーカーも仕事が減り、発注量も減り、内製化を進めたことで1社依存の売上が激減し、仕事をとろうにも営業してこなかった、育てなかったことが原因で、営業ができない状況に陥ってしまった。
口を開けて待っていれば、仕事が入った儲かっていた時代に「未来に備えて、変化しよう」と考えず、「今があるから大丈夫!」と何も変化しない道を選んだことで町工場の経営が苦しくなっており、そのツケを現在の経営者が負っているのです。
経済もメーカーも変わったけど町工場は昔のまま
日本経済もメーカーも時代と共に変化しているのに、町工場だけ時が止まったままかのように昔から何の変化も起きていないのです。
昭和の時代から時間が過ぎて、ITによる業務効率化や現場もより効率的に生産できる仕事の仕方、現場での若手や女性活躍などが当たり前の時代なはずなのに、町工場だけ昭和から時計の針を止めたように昔のやり方のままなのです。
- 見積依頼は未だにFAXでしか受け取れない
- 会社のHPなんて存在しない
- 未だにExcelで見積書を作っている
- 図面は紙でフォルダに挟んで管理している
- 担当者しか案件がわからない
上記は多くの町工場が該当するであろう業務の仕方ですが、これが昭和の時代から変わらず、昔のままである代表的な内容です。
ITの進化、スマートフォンの登場、便利なクラウドサービスの登場で昔と比べると仕事がより効率的にできる環境になったはずですが、この技術発展の恩恵を町工場は受けることなく、昭和の時代から変わらない非効率な仕事をしているのです。
経済の変化に合わせ、競合他社に負けないように仕事を出してくれるメーカーもどんどん変化をしており、中国などの海外に仕事を出すのも国内で作るより安価であり調達メリットを求めを変化させた結果で内製化が進むのも変化するためです。
仕事をくれる発注者であるメーカーも企業努力で変化しているのに、仕事をもらう側である町工場が何も変化せずにいたら、仕事がどんどん無くなる、海外に転注される、内製化されるのも当然の結果ですよね。
「昔からずっとやってきたのに急に仕事を減らされた、メーカーは昔とは考え方が変わったと」とメーカーが急に態度を変えたような言葉を聞きますが、メーカーは何も変化しないサプライヤーの仕事を保証してくれるほど優しくはありません。
仕事が減らされる、内製化するということは実は発注を受けていた町工場に何かしら原因があるからであり、「自分達の何が悪かったんだろう」という考え方を持つべきなのです
変わろうとしても変わる手段がない
今までずっと待ちのスタイルを貫いて、自分達で行動を起こしてこなかった町工場が令和になって、今までやってこなかった変化に自社で取り組もうにも手段がなく、変わることができない状態なのです。
「新規開拓がしたいけど、営業がいない、ノウハウがない」「もっと仕事を効率的にしたいけど、社内にITがわかる人がいない」このように変化したいと強く思っても、社内は今まで現状維持だったので町工場が変化する手段が存在しません。
変わりたいと強く願う町工場の経営者の方は多いはずですが、「誰に相談すればいい」「そもそも相談相手がいない」「自分がやろうにも時間がないし、経験もない」というジレンマに陥っており、時間だけ過ぎているのが実情です。
長い間、町工場が井の中の蛙状態で外の変化や外で何が起きているのかを見ずに時間だけが過ぎてしまったので、変わろうとしても変わるために何をすべきかわからず動き出せず、いつまでも現状維持にならざるを得ない状況が今の町工場です。
以下の記事では変わろうと考えて、自社でやったことも得意でもない営業やデジタル化に取り組むと社長の時間が全て埋まってしまい、町工場の成長が阻害されてしまう点について解説していますので併せてご覧ください。
変化なしでは町工場はもう生きていけない
町工場がこの先の変化の激しい世の中を生き残っていくためにはもう変化なしではあり得ません。
従来通り、ただメーカーからの仕事を待つだけの「待ち工場」でいては町工場は生き残れません、これが事実です。
世の中が経済が目まぐるしく変化し、メーカーも市場で生き残るために、常に変化を繰り返し、新しい価値を世の中に提供しています。
そんな中で部材を供給する町工場が昭和の時代と変わらぬ仕事をしていてはメーカーが求める価値提供ができず、サプライヤーとしての存在意義が見出せず、不要な存在となってしまいます。
この記事では変化をしない待ち工場のままではもう生きていけない理由を解説します。
「昔からの付き合い」は関係ない
町工場の方はどんなことがあっても「昔からの付き合いがあるから」とメーカーが守ってくれるように思っている方が多いですが、もうメーカーは昔からの付き合いがあるからとサプライヤーを守ることは考えていません。
どれだけ、世の中が変わっても、昭和の時代からメーカーをずっと支えてきた存在である町工場をメーカーは決して見捨てない、どんなことが起きても仕事を出し続けてくれると考えている町工場があまりにも多いです。
この「昔からの付き合いがある」からという考えは幻想で、メーカーは取引する価値がないと感じたサプライヤーが仮に古い時代からの関係であっても関係なしに転注を行います。
周りにこんな状態の町工場は存在しませんか。
- 主要取引先がメインの仕事を引き上げてしまった
- 今まで流れていた仕事が全て毎回見積でどんどん利益が減っている
- 昔から受けていた仕事が少しずつ減り出した
確かに仕事が溢れていた時代は、昔からの付き合いがあるサプライヤーを守る、一緒に大きくなるという思いがメーカーにありました。
しかし、時代が変わり、景気が悪くなり、メーカーも受注が減る中で、昔からのサプライヤーを守るほどの余裕がメーカーになくなり、自社工場を回す、自社の利益を確保することを優先せざるを得なくなっているのです。
かつ、現代のメーカーの経営者は昔から一緒に大きくなったサプライヤーと何の関わり合いもないため、付き合いの長さよりもメーカーにとってどれだけ価値があるかという物差しでしか町工場を見ていません。
「昔からの付き合い」があるからと変化することなく、現状維持を続けると、ある日突然、「仕事は出せません」という最悪の未来が訪れることになります。
以下の記事では町工場を経営するために卒業すべき3つの負の遺産とその解消方法を解説していますので併せてご覧ください。
容赦なく進む内製化
日本の経済は悪くなるばかりでこれ以上、成長することはないので、メーカーも限られた仕事で自社社員を守るために町工場に外注していた製品を引き上げて社内工場を回すことを優先し始めています。
周りで起きていませんか?町工場が今まで生産していた仕事をメーカーが自社工場を回す目的で内製化に踏み切って、仕事を引き上げてしまい、引き上げられた町工場の経営が一気に苦しくなってしまうような状況を。
様々な業界でメーカーは受注量が減少しており、中国が受注の大半である繊維機会メーカーは中国の景気後退で受注が60%減少、半導体メーカーも特需が終わり、一気に生産量が半分になるなど、メーカーも仕事がないのです。
メーカーも町工場同様に組織であり、町工場の何倍もの数の従業員を守る必要があり、少ない仕事の中でも工場を回して利益を確保しなければなりません。
ただでさえ、減少していく仕事量しかない状況でメーカーは工場を遊ばせるわけには行かないので、自社工場を回すことを最優先に考えた結果、行き着くのはサプライヤーの仕事を引き上げて自社工場の稼働を上げる内製化の手段です。
サプライヤーが行う仕事は基本的にメーカーが社内で生産できない、生産すると非効率になる仕事が対象となりますが、仕事が減って工場が暇になる状況ではメーカーもそうは言ってられません。
顧客から工場を回す仕事を取ってこれないのであれば、サプライヤーの町工場に出している仕事を社内工場で生産することで工場を回して利益を確保する必要があるのです。
日本経済が良くなる可能性はゼロであり、メーカーの仕事は減少し続けていく未来しかないので、メーカーの内製化はどんどん進んでいくため、町工場の売上の大半を占める仕事を引き上げの通告は増加する一方です。
1社依存状態で仕事を受けているとある日、「来月から仕事を内製化します」と通告が来て、いきなり売上の大半が消し飛んで、その売上を補填する取引先がない状態に陥ってしまう未来が町工場の目の前まで来ているのです。
以下の記事では町工場が1社依存を卒業すると、リスクを上回る巨大なメリットが待っている点を解説していますので併せてご覧ください。
アナログな町工場は淘汰される
仕事のやり方が昭和のままでアナログな方法で仕事をしている町工場も淘汰される対象です。
世の中はDXやデジタル化と仕事の効率化が叫ばれていますが、PCすらまともに使えない町工場も存在し、周回遅れもいいところです。
しかし、昨今のメーカーは業務効率化による人件費や労務費の削減にも力を入れており、メーカーの求める取引やシステムでのやり取りに対応できない町工場との取引を停止する又は転注の対象とするメーカーが増えています。
シンプルに言うと、「ITやシステムを活用できない町工場のためにメーカーが無駄な仕事をするのは無駄、あり得ない」と言う風にメーカーは考えているのです。
そのため、どれだけ長い付き合いをしていて、価格メリットが他の町工場よりもあったとしても、注文する手間がかかる、やり取りに時間のかかると判断されたら、それは転注対象の町工場にリストアップされてしまう理由になるのです。
アナログな業務であるとことはメーカーからすると非効率なサプライヤーという烙印になってしまいます。
町工場はITとうまく付き合うのが苦手であり、その理由は「ITがわかる人間がいない」「ITがよくわからない」が大半ですが、苦手だからと言ってITで町工場の仕事を変化させなければ、町工場に未来はありません。
今まではアナログでもしょうがない、なんとか古いやり方で乗り切ってきたかもしれませんが、ベテランの引退で新しく人を雇う場面でアナログであるために人は集まらないし、育てられない、技術継承もできない淘汰の道が待っているのです。
町工場の経営者は今すぐ2つの変化を起こせ
町工場がこの先も継続して工場を存続させるためには「新規開拓」と「デジタル化」の2つの変化を社内に起こす必要があります。
変化を起こさずに現状維持は1番楽ですが、その楽な状態に甘んじている限り、町工場には刻一刻と終わりの時間が近づいていることを理解して、今すぐに変化を起こすための行動を起こす必要があるのです。
ここでは町工場が起こすべき2つの変化に関して解説します。
新規開拓で1社依存・薄利から抜け出す
特定顧客に売上が依存してしまう1社依存そして、仕事をこなしても薄利、孫受けで十分な利益が得られない状態から抜け出す必要があります。
町工場にとって1番危険な状態は「依存」であり、依存している限りは常に会社の命運を自分たちでなく、社外の誰かに命綱を握られて、自社の命運を左右される不安定な経営状態に陥ります。
- 売上が1社依存なので、発注量が落ち込むと経営に大打撃
- 孫受けなので、自分たちで売上をコントロールできない
- 依存先の機嫌を損ねられないので、Noが言えない
町工場は一刻も早く依存状態から抜け出さなければならず、そのためには新しい業界で顧客を見つける新規開拓が必要です。
取引先を1社から2社へ増やすことができれば、片方の売上が減少してももう片方の売り上げで経営を支えると言うバランスを取ることができ、不安定な状態から脱することができます。
また、孫請けに依存していると、薄利状態で仕事を続けることになり、どれだけ仕事をこなしても、メーカーの手前にいる会社に利益を奪われて、いつまでも利益が増えることがありませんが、直接メーカーと繋がれば、利益率は大きく改善します。
ただ、町工場の大半が以下のような状態であるはずです。
- 今まで営業をしたことがない
- 営業担当が社内にいない
- 営業の方法がわからない
しかし、苦手だからと営業することから逃げていては、いつまで経っても町工場は売上の悩みから抜け出すことができません。
弊社は町工場がこれから新規開拓をする際に必要となる営業ノウハウ情報を発信しており、以下の記事では金属加工を営む町工場に向けた新規開拓ノウハウを公開していますのでぜひご覧ください。
お金をかけないデジタル化で時間を作る
町工場は新しい変化を起こすために必要な時間を創出するためにデジタル化で業務を効率化する必要があるのです。
実はほとんどの町工場の経営者は共通課題を持っており、それは本当はやりたいこと、アイディアがあるのに既存業務の対応などで「時間がなく」新しいことに取り組めないという点です。
以下の記事で詳しく解説しますが、取り組まないといけないと言う危機感は常に抱いているのに多くの町工場の経営者が「時間がない」が故に新しい取り組みができていません。
デジタル化やDXと言う言葉を仕切に使うコンサルタントがいると思いますが、彼らは町工場が苦手なデジタル化の領域でお金が欲しいために何の意味もないデジタル化をお金をかけて、実現しようとしますが、これは実に無駄です。
町工場がデジタル化する目的は今まで時間をかけていた作業を効率化して、他のことをするための時間を創出することであり、この効率化もお金をかけて取り組むのではなく、最小限の費用で実現できる仕組みで変化すべきなのです。
例えば、以下のような毎日繰り返す無駄な業務は町工場が真っ先に省力化しないといけないものです。
- 見積書は毎回Excelで作成している
- 過去の見積書を探すので時間を浪費している
- 毎回、材料会社に以前聞いた材料の単価を聞いている
- 日報は全て手書きで作成
- 紙の図面を探すのに時間を浪費している
これらの業務は日々、町工場から時間を奪う代表的な仕事ですが、本来は簡単に効率化できるものですが、デジタル化に疎い町工場にとってはどう変えていいかわからないはずです。
しかし、町工場の現場とデジタル化の両方を得意とするパートナーを見つければ、費用も最小限に簡単にデジタル化に取り組むことができます。
町工場が変化するためには新しいことに取り組むための時間が必要であり、無駄な業務はどんどん効率化して、自分たちが自由に動ける時間を作るために効率的に仕事ができる仕組みに変化することも町工場には必要なのです
まとめ:町工場は変化することで遅れを取り戻せ!
この記事では町工場の経営が苦しい原因を解説すると共に間違った町工場の形を変革し、正しくあるべき姿の町工場に戻すために起こすべき2つの変化を解説しました。
町工場が変化せずに時間を過ごしてしまった為に経営が苦しいのは事実ですが、この苦しい状態を抜け出せないわけでは決してありません。
今まで停滞していた分を巻き返すための変化を社内に起こすことができれば、町工場の経営は大きく変わります。
追い風として現在は多くのメーカーが高齢化による廃業問題に苦しんでおり、新規開拓が1番しやすい環境でもあり、1社依存から抜け出す、孫請けからの卒業に取り組むのは簡単な環境なのです。
苦しい状況は待っていても決して変わりません、この事実を理解して上で変化に取り組んでいきましょう。
とはいえ、今まで営業活動をしたことがない町工場の方が新規営業をするのはとても難しいはずです。
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