町工場は外部環境の変化に気づいて古いやり方を変え、新しい挑戦をしなければ、気づいた時にはもう手遅れでどうしようもなく廃業しか道がないような茹でガエル状態になってしまいます。
茹でガエル状態とはカエルは冷たい水の中で少しずつ水温を上げると、水温変化に気づかずにカエルが生きられない温度になっても気づかずに茹で上がって死んでしまうことですが、まさに町工場がこのカエルと同じ状態に陥ってます。
外部環境の日本経済、メーカーが少しずつ変化してる中で、変化に気づかず、昭和の頃から変わらぬやり方を貫いた結果、突然仕事を引き上げられ、売上先が突然なくなるという経営が茹で上がることに繋がりかねません。
世の中は常に変化していますが、町工場だけは時が止まったかのように以下のような状態が多く見受けられます。
- 営業して仕事を取るでなく、ひたすら仕事が来るのを待っている
- 仕事の仕方はアナログのままで、デジタル化なんて程遠い
- 孫請けに甘んじたままでいつまでも薄利の状態
- 取引先の仕事量が減り続けても営業しない
上記のような状態で変化を起こさずにいると町工場は茹で上がってしまい、廃業という道に繋がります。
この記事では町工場の大半が茹でガエル状態で大ピンチであり、変化なしの町工場の廃業は不可避の理由に関して解説します。
町工場は外部環境の変化に気づいていない
多くの町工場が外部環境がどれだけ激しく変化しているかに気づかずに、昔と変わらないやり方で仕事をしているのです。
基本的に町工場は取引先であるメーカーから仕事をもらっていますが、長い関係を持っていたメーカーでは経済の停滞、需要減による生産数の減少などでサプライチェーンの見直しを図っています。
その中で昔からの長い付き合いという理由だけで取引をしていた町工場にメスを入れる動きが起きており、町工場はこの変化に対応する準備が必要なのですが、どの町工場も手遅れのタイミングで初めて気づくような状態です。
ここでは具体的にどのように外部環境が変化しているのかを解説します。
メーカーはもう変化を始めている
メーカーは国内の需要減少を避けられない問題と定義し、仕事が減り続ける中でも利益を出すためにこれまでの部品調達に大きな大改革となるメスを入れ始めています。
日本経済はもう成長することはない、むしろこれからどんどん悪くなり、経済後退に合わせて受注量がどんどん減っていくとメーカーは予測しており、どうやって仕事が減る中で利益を出すかに血眼になっています。
メーカーは町工場と違い、何百人も従業員を抱えており、この従業員分の人件費を賄う利益がなければ、リストラの実施になりますが、人不足の中でリストラをすると、その後の人不足に耐えられなくなるので、簡単にリストラができない状態です。
利益を出すための売上は需要がないので増やせない、そうなるとメーカーがやることは1つ、調達費用などの見直しなどのコストダウンで利益を増やすことです。
メーカーはこれまでの長い付き合いで多少高くても発注していた町工場や社内で生産できる仕事を出している町工場に対してメスを入れ始めているのです。
つまり、町工場の仕事が今後、どんどん減っていく方向にメーカーは舵を切っているのです。
内製化や転注がどんどん加速する
メーカーがコストダウンを実施する際に真っ先に対象になるのは外注費用で、外部の町工場に出している仕事を内製化する、もっと安く仕入れられる町工場に転注するといった活動がメーカーで加速的に増えていきます。
おそらく、町工場さんの中で以下のようなことが起きているはずです。
- 町工場で行っていた仕事をメーカーが内製化を始めた
- メーカーが全ての仕事を相見積したことで、既存の仕事が減り始めた
- 中国やベトナムなどに仕事を持って行かれた
大阪のメーカーでは経営層の刷新に合わせて、半世紀も続いたサプライヤー協力会を解散し、「取引歴は今後関係ない!メリットのある町工場さんとしか仕事をしない、協力会という甘えを許さない」と大改革を起こした話を耳にします。
上記の話を見て分かるのは、メーカーにはもう長い間支えてくれた町工場を大切にする余裕がないのです。
受注がどんどん減り続ける中で株主への利益還元、従業員の雇用を守るためには利益が必要で、そのためにはまず外部企業に流れている利益を社内に回すことが重要なのです。
メーカーと町工場の関係は発注者と受注者の関係ですが、発注者は意思決定1つで簡単に受注先を変えられる状態ですが、これまでは長年の付き合いや仕事の仕方を知っているからと流れていた仕事がコストだけ見られるように変わるのです。
今後もメーカーは次々と内製化によるコストダウンを実施し、自社で生産できないものは相見積でコストが最安な町工場にのみ出すという方向性になります。
そうなると町工場は仕事を残す代わりにどんどん薄利になり、そして今まで通りのやり方では仕事が失われていく未来はもう避けられないのです。
古き良きメーカーとサプライヤーの関係はなくなる
「絶対にサプライヤーさんの仕事を守る!何かあっても仕事を出す」という文化は昭和の時代に確かに存在しましたが、令和の時代では古い関係や過去からの関係というものは無意味になります。
町工場では仕事が落ち込む時期が来ても、「今は耐える時期」「耐えれば仕事が戻る」という考えを前提としていたかと思いますが、今後はどれだけ耐えて、待っていても減った仕事が戻ることや新たな仕事増えることは決してありません。
最近はメーカーの購買部や設計担当が町工場の現場に足を運び、遅くまで議論してモノづくりをする光景がほとんどない気がしませんか?
時間の経過と共にメーカーと購買部の関係は変化し、昔はすぐに町工場の現場で一緒になって解決するという意思があった購買担当の方も年を取り、役職がつき、引退を迎え、過去の町工場とのやりとりを覚えているメーカーの人材がいないのです。
そのため、現役の若手の購買部からすると「この町工場、なんでこんなに高いんですか?」「なんでこの仕事は社内でなく外注なんですか?」と過去のやり取りや今までの取引経緯を知らないので、平気で疑問に思ってしまうのです。
町工場は購買部から発注に関して疑問を持たれると、工場を視察され、不手際やアナログなやり方を見られると、価格以外でも発注を検討すべきという方向になってしまいます。
そのため、今までは相見積なしで、自社に流れていた仕事が突然減った、今までなかった相見積依頼が出るなど、過去の関係値は考慮せず、コスト最優先で調達を行うように変化したのです。
昭和の時代から支えている古参サプライヤーという地位はもう無意味で、全ての判断軸がコストに切り替わってしまったのです。
昭和・平成に変化しなかった町工場が抱える3つの負債
町工場が茹でガエル状態になっているのは昭和から3つの点で変化し続けなかったのが原因であり、時間の経過と共に町工場の負債として重い足枷になってしまっています。
昭和の時代が町工場にとってあまりにも環境が良かったのが問題で、高度経済成長期は山ほど仕事があり、何もしなくても勝手に仕事が入ってくるので、変化の必要がなく、ただ目の前に勝手に流れてくる仕事をこなせば良かったのです。
しかし、平成・令和の時代では待っていても仕事がこない状況に変わり、待っていれば良かった町工場には自分たちで仕事をゼロから取る、新しいものを取り入れて働き方を変える変化の経験がないので、厳しい環境となっています。
ここでは昭和・平成から変化しなかった町工場に存在する3つの負債を解説します。
仕事を取りたくても営業経験なし・ノウハウもない
既存顧客からの売上が年々減って、取引先も減るという危機感は毎日感じているが、営業部もなく、ノウハウもないので仕事を増やす営業活動ができない負債です。
多くの町工場は以下のような状態です。
- 社長が今までワンマン営業をしていた
- そもそも営業活動したことない
- 営業部すら存在しない
- 営業方法がわからない
日本の高度経済成長も相まって、昔の町工場は営業をしなくても、メーカーから勝手に仕事が入ってくる、仕事が入れ食い状態だったので営業なんてする必要なかったのです。
しかし、この営業をする必要がなかったことが原因で現代の町工場の多くは営業ができない状態に陥っています。
確かに昭和の時代は営業はする必要がほとんどなかったので、営業部も営業も要らなかった、ただ、時代や外部環境が変化し、仕事が減って自分たちで営業をして仕事を取るスタイルに変化すべき時に町工場は変化することをしなかったのです。
仕事が減り、自分たちで営業をすべき時に変化せずにいたために、令和の時代になって茹でガエルとなってしまい、営業がしたくてもできない環境になっているのです。
仕事が減って危機感を感じている町工場の方はたくさんいると思いますが、多くの方がおっしゃるのは次の言葉です。
「どうやって、はじめましてからメーカーと関係を作って仕事を貰えばいいのか」「営業はしないといけないけどどうすればいいかわからない」
時代が変わり、町工場も自分たちで仕事を取る必要がある時期に営業部の構築や営業ノウハウを少しずつ蓄積していれば、令和になって営業したくてもできないと言う状況はあり得なかったはずです。
しかし、営業をして自分たちで仕事を取るという変化をせずに仕事を口を開けて待つだけの「待ち工場」のままでいたせいで営業面で町工場は茹でガエルとなり、負債を抱えたのです。
以下の記事では新規開拓をしない町工場に待っている人材と加工設備に関わる最悪の窮地に関して解説していますので合わせてご覧ください。
仕事が非効率、デジタルについていけない
普段の生活から仕事の仕方まで多くの面でデジタル化が進み、世の中が便利になっている中で、町工場だけ時代に取り残され、昭和のままの仕事の仕方をしているのです。
スマホ1つあれば、PCだけあればいくらでも仕事ができる、事務所にいなくても仕事がスムーズにできる環境の中で町工場は未だに紙が仕事の中心に存在し、メールでなくFAX、Excelを使うなど全くデジタル化は進んでいません。
ただでさえ、町工場の経営者は忙しいのに、無駄な業務に時間を使って、本来やるべき仕事に手をつけることができず、事務所に缶詰になるような状態です。
- 過去の見積がすぐに出てこない
- 概算見積をすぐに出したくても会社に戻らないとできない
- 材料単価を毎回材料屋に聞いている
- 生産管理なんてないので伝言ゲーム
- 紙の図面を探すだけで10分以上かかる
上記が町工場で共通するして無駄に時間を使っている仕事の一例です。
業務のデジタル化は高度なITスキルを持った方も潤沢な予算がなくても、最新のツールは無料で使えるかつ難しい知識もいらないので簡単に実現できるため、町工場だからできないと言うのは言い訳です。
町工場はデジタル化が「できない」のではなく「デジタル化で仕事を仕方を変えようとしなかった」ために今もなお非効率な仕事で時間を浪費しているのです。
デジタル化という言葉、ツールが世の中に出て、色々な導入事例も飛び交って、どんどん導入する企業が増えていく中で「うちには関係ない」「今まで通りでいい」と変化する道を選ばないせいで今があるのです。
町工場であってもどんどんツールを導入して、効率的な仕事をしている町工場はたくさん存在し、デジタル化に成功している町工場とアナログな町工場の違いは変化しようという意識の違いです。
多くの町工場の後継の方は新しい顧客を見つける営業、社内の改革、現場の意識改革などやるべきことが沢山あるのにアナログな業務という負債でいつまでも新しい変革に時間を割くことができない、これが2つ目の負債です。
物言うベテランや職人が変化を止める
現場にいませんか?自分しかできない仕事を作り、仕事を囲い込んで、いつまでも自分の好き勝手に仕事を回して、個人商店のような仕事の仕方をするベテランや職人の方が。
町工場が新しい後継者に変わり、会社を変化させようとすると必ず、全ての変化を全て否定するベテランや職人の人が存在するはずです。
課題を見つけて、何か改革をしようとすると以下のような言葉が出て、変化にブレーキがかかるのです。
- 今まではこうだったから変えられない
- 変えてうまくいかなかったらどうするんだ
- これはいいけど、これは俺の仕事だからダメ
- 今まで良かったから変える必要ないでしょ
本当に多くの町工場の後継者の方が過去からの間違ったやり方を変えようとすると、社内の味方であるベテランや職人さんが変化を否定するのです。
やってもないのに、「できなかったらどうする」の否定から始まり、何か変化させたら「聞いてない」「なんで変えたんだ」と後出しジャンケンをするようにまるで敵かのように変化を嫌がるのです。
「人間は変化を嫌う」という言葉がありますがこれが最たる例で、今まで同じやり方で回ってきたから変化なんて必要ないと考えるベテランや職人があまりにも多いのです。
これは昭和の時代からずっと変化することなく、何十年も同じ方法で仕事をしていれば給料が出ていた期間が長く続いたために、自分にとって心地よい何も変化がない仕事こそ最良という文化がベテランや職人の頭に埋め込まれてしまったのです。
そして何より「もうすぐ俺は引退」「あとちょっとで終わりだから」と自分の仕事さえ守れればいいと、会社の将来でなく、自分の将来を守ることに必死になっているのも原因です。
全ての町工場は昭和の時代のやり方から脱却するために変化しないといけないのですが、なぜか社内のベテランや職人が変化に急ブレーキをかけて、社内の説得に時間がかかり、いつまでも変化ができないという状況になるのです。
令和の時代もずっと変化せずに今まで通り過ごしていたら本当に茹でガエルになって廃業するしか道がなくなってしまいます。
変化なしでは未来を背負う後継者が大ピンチ!
変化を起こさないことで1番悪影響を受けるのは町工場の未来を担う後継者の方々で、特に今まで製造業とは畑違いの仕事をしていたが、急に町工場を継ぐことになった後継者の方が大ピンチになります。
年齢は誤魔化すことができず、必ずどこかで体に限界が来るため、後継者に町工場を引き継ぎ必要がありますが、変化をすることなく負債だらけの状態で後継者にバトンを渡すのは後継者にとって大きな負担です。
ここでは町工場が変化なしのままでは後継者に大きな負担を生む理由を解説します。
未経験で町工場を後ぐ後継者が続出
高校卒業から親父と一緒に現場から学んだという町工場を継ぐことを前提とした後継者でなく、全く異業界で製造業とは無縁の仕事をしていたのに急に町工場を未経験で継ぐというケースが続出しています。
町工場の後継者というのは高校卒業から現場に入り、1から100まで先代社長に指導を受け、背中を見て会社を継ぐケースが多かったですが、令和の時代は畑違いの仕事をしていたのに高齢化や病気などが理由で未経験で継ぐケースが増えています。
- 先代社長の体が限界で会社を畳むかの瀬戸際で町工場を継ぐことに
- 先代社長が急に亡くなったので、異業界から突然継ぐことに
- 奥さんの父が町工場の経営者で娘婿として継ぐことに
上記のような理由で町工場を未経験の状態で継ぐというケースが日本全国で起きており、右も左も分からないけど町工場を経営することになったという方が急増しているのです。
昨日まで異業界で働いており、モノづくりと程遠い世界にいた方が急に町工場を継ぐというのは1から工場の全てを理解する必要があり、中身はかなり負担の大きいものです。
経営が順調でお客さんも豊富で仕事も安定的に流れているのであれば、負担は少ないですが、大半の町工場は昭和から変化せず、営業もしてない、業務もアナログ、職人は変化を嫌うという状態で極めて難しい経営状況のはずです。
世代交代の前に変化を始めなければ、モノづくりへの理解も少なく、これから少しずつ学んでいかないといけない製造業未経験の後継の方が茹でガエル寸前の極めて大変な町工場を引き継がなければならない状況になってしまいます。
以下の記事では町工場の新規営業ノウハウの全てを徹底解説していますので、まずは営業することから変化しようと考える町工場の方は営業マニュアルとしてご活用ください。
未経験の後継者には頼れるパートナーがいない
変化を起こすのは簡単なことではなく、営業や現場への理解、技術への知見を前提として初めて正しい変化を起こすことができますが、未経験の後継者には自分の右腕となるパートナーがいないので暗中模索で全て1人で回すことになります。
若い頃から父親の背中を見て、現場で共に汗を流していれば、現場はもちろん技術への知見も深いので、会社を回す、現場を回すことは難しくありませんが、未経験で後継者になった場合は現場の知識はゼロです。
加えて、営業に関しても町工場はそもそも営業部もないノウハウもないので営業方法を学ぶ手段がありませんし、業務効率化しようにもどのような方法があるかも聞ける相手が社内にいないので全て1人で抱え込むことになります。
社内で誰かに聞こうにも、今まで変化をすることなく同じことを繰り返してきた方ばかりなので、「なんで変えるの?」「今があるからそのままでいいじゃないか」と会社が生き残るための改革を後押ししてくれる存在がいないのです。
未経験の状態で町工場を継ぐことになった方に必要なのは自分がわからない営業や業務を効率化するための方法を理解して、率先して動いてくれる右腕となるパートナーですが、そのパートナーを社内で見つけるのは極めて困難です。
ゼロから変化を生み出すのは苦労が必要で、町工場の前提知識がない方にとっては本当に大変な仕事です。
変化だけ起こせばいいわけではなく、既存顧客に納期遅延することなく、品質の高い製品を納品する仕事もこなしながら変化を起こさないといけないまさに二足の草鞋の状態で会社を回すことになるのです。
未経験の後継者に世代交代する前に少しでも会社に変化を起こすことができれば、世代交代をする後継者の負担を減らすことができますが、変化なしで会社を後継者に任せるのは後継者の負担がとてつもなく大きいということを理解してください。
以下の記事では町工場の課題が経営者が1人で全てを抱え込むことであり、抱え込んだ結果に最悪の結論を迎えてしまう理由を解説していますので合わせてご覧ください。
変化には時間が必要なので動くなら今すぐに
もしも「体がそろそろキツイ」「目も悪くなって、もう後継者に譲らないといけない」と少しでも頭に過っているなら、変化するためにいますぐ行動を移すべきです。
変化を起こすのは簡単ではなく、行動したからと言ってすぐに変化が出ることはなく、小さい積み重ねの繰り返しで初めて会社の雰囲気が変わった後に、会社が変わるという、時間がかかる作業です。
今日やったから明日変わるほど甘いものではありません、特に社内で今まで変わることをしなかった方々からの抵抗が極めて大きいです。
また町工場では社内では考え方が昭和のままで凝り固まっている、自分たちは今のやり方が当たり前でおかしいところに気づけない、自社がダメなところがわからないという状態が多く、自分たちで全てを変えるのが難しい状況です。
営業に関しても、アナログな業務も正しい正攻法や手段を知っている方は社内にいないはずです。
そうなると、外部の力を頼るしかないですが、町工場の現場を理解して、営業にも精通して、業務効率化できる人材というのは稀有です。
変化するために必要な人材が社内にいないのであれば、外部の力を借りることを検討し、選択肢を模索すべきです。
実際に変化を遂げて、成長を遂げる町工場様の多くは外部の力を借りて自分たちが苦手な領域での変化を起こすことで、大きな飛躍を遂げています。
まとめ:工場が本当に茹であがる前に変化を始めよ
この記事では町工場の大半が茹でガエル状態で大ピンチであり、変化しなければ廃業が不可避である理由に関して解説しました。
多くの町工場が外部が目まぐるしく変化している中でその変化に気づかずに、昭和からのやり方に固執し、自社の環境がどんどん厳しく温度が上がっていることに気づいていません。
このまま変化を起こさずに時間だけ過ぎれば、お湯の温度が限界に達して、工場を廃業するという選択肢しか残らなくなってしまいます。
外部環境は刻一刻と変化しており、変化を起こさなければ、突然仕事を引き上げられる、売上先が突然なくなるという経営が茹で上がり、廃業という最悪のシチェーションも起こりかねません。
現状の社内の状態に危機感を少しでも抱いているなら今すぐに変化を起こしましょう。
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